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「なんで勉強するの?」「なんで学ぶの?」
1度でも思ったことがあるのではないでしょうか?
勉強や学びは「退屈で、つらく、しんどいもの」です。
ではなぜ、9年間の義務教育を経て、高校や大学に進学し、社会人になっても学んでいくのでしょうか?
今回は勉強・学ぶ意味について書いていきます。
私は15年間、小学校教員を勤めていました。子どもたちに勉強の意味を伝えることは難しいことでした。
ただ、勉強・学ぶ意味はあるということは信念をもって伝えてきました。
学ぶとは?
学ぶの意味は、
- 勉強する。学問をする。
- 教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。習得する。
- 経験することによって知る。
- まねをする。 goo辞書より
とあります。
4については、「学ぶ」の語源は「まねぶ」と言われています。学ぶには「まねをする」という意味が含まれています。
一般的な学びのイメージは、1や2の意味にあるように、「知識を得たり、技を向上させたりするイメージ」があるのではないでしょうか。ザ・勉強」というイメージです。
しかし、学ぶ意味は、3や4の意味のように「経験から学ぶ・人から学ぶ」ことだと私は思います。
なぜなら、学ぶ意味は「知識や技能の習得にとどまるのではなく、経験から実践知を得ること」にあるからです。
一般的な学びは、「ザ・勉強」
一般的な学びは、
です。
一般的な学びは、
- 単純
- 反復・くり返し
- 退屈
- 挫折しやすい
特徴があります。
これは、一般的な学びには、テストの目標点や受験の合格点など、「ここまで到達すればOK」という「ゴール」が設定されるからです。
このゴールをクリアするために、知識を頭に入れ(インプット)、頭に入れた知識をテストなどで答える(アウトプット)学びをくり返します。
こうして、
- インプットが単純作業で疲れた・めんどう
- 知識が頭に入ってこない・理解できない
- 反復・くり返しがめんどう
- 結果が出ない(順位が上がらない、偏差値が上がらない)
など、負のスパイラルに陥り、さらには、
- 「自分はバカだ」
- 「受験に合格できないのではないか」
- 「ただ単に知識を頭に入れるだけで、将来役立つのか?」
と自己否定に陥ります。
受験生はテストの点数をあげる努力に加えて、自分のメンタルを保つ努力も強いられます。受験生のほとんどが精神的に余裕がありません。
ザ・勉強は「退屈で、つらく、しんどいもの」です。
学ぶ意味の本来の姿
辞書の意味にあった、3や4のような「経験から学ぶ・人から学ぶ」ことが本来の学びの姿です。
つまり、
- 実践知を得て、昨日より今日、今日より明日と、よりよく生きる
- 自己形成(成長)
例えば、料理をします。
最初は手際が悪く、包丁を危なっかしく使い、おいしい料理をなかなか作れません。
しかし料理をするたびに、料理の手順がわかって手際がよくなったり、包丁の使い方が上手になったりし、美味しい料理を作れるようになっていきます。
それは、料理を実践することで、実践知を得ているからです。
例えば、自分にとって苦手な人が職場やクラスにいる場合を考えてみましょう。
相手の地雷を踏まないとか、あいさつ程度で関わるとか、距離を置くとか、本やSNSで得た、人間関係をやりこなす知識を総動員して対応します。
そして、その対応方法を実践することで、
「〇〇の話はNGだけれど、△△の話はOKだった」「朝と帰りのあいさつは絶対に必要だ」などといった、実践知を積みます。
苦手な人との適度な距離感がわかり、関わり方が変化してきます。
このように、知識を生かして、実践知を得て、よりよい自分なることが本来の学びの姿です。
そして、「よりよい自分になる=よりよい自己を形成すること」
つまり、「成長」するために学ぶ必要があります。
失敗も学びの一部
もちろん、全てがうまくいくとは限らず、失敗することもあります。
しかし、自己形成の観点から、失敗も学びの一部です。
元プロ野球監督の野村克也氏は
「失敗と書いて、せいちょう(成長)と読む」
という言葉を残しています。
失敗の原因を突き詰め、次の機会にその失敗を生かそうとすることで、よりよい自分へとなっていきます。
先の例ならば、料理の味がよくなかった原因を次の料理に生かしたり、苦手な人を怒らせた原因を考えて次の機会に生かしたりします。
そして、失敗を学びにつなげることは、「ザ・勉強」にも通じます。
- テストで失敗をした時、その失敗を次に生かす。
- 苦手な問題を失敗しながら何度も解き、克服する。
ザ・勉強の中にも本来の学び(自己形成)があります。
だから、テストや受験などのザ・勉強にも大きな価値があると私は思います。
他者との比較ではなく、過去の自分と比較しよう
ザ・勉強は他者との比較になりやすいです。
例えば、偏差値や平均点などは、自分と他者との位置がわかる代表的な数値です。
受験生は他者と自分が比較された数値に悩まされます。
しかし、偏差値や平均点に悩むのは本来の学びからは外れます。
なぜなら、自己形成にはつながらないからです。
- 「今回のテストで自分が経験したことは?」
- 「自分が得た実践知は?」
- 「自分が次回に生かせそうなことは?」 など
過去の自分と比較し、「自分発の視点」でふり返ることが学びでは大事です。
すると、
- 前回は解けなかった問題が今回は解けた!
- 以前のテストより点数が上がった!でも、〇〇の分野は点数が低い・・・。
- わからない問題・分野が、新たに見つかった!
など、自分自身の成長に目を向けた実践知を得られます。
そこには、偏差値や平均点などといった他者との比較はありません。
他者の結果で変化する偏差値や順位を気にしていてはキリがありません。
学びの視点を自己成長に向け、
「過去の自分よりどうか?」を大事にしてほしいです。
勉強、学びにムダなし 全てが学びになる!
どんな勉強も学びもムダなことはありません。
私は子どもの時に、社会科以外の勉強は意味があるのか?
と思っていました。(元教員ですが…)
もっと言えば、
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算数・理科・英語・図工…将来の役に立つのか?ムダじゃないか?。
とも思っていました。(元教員ですが…)
しかし、そう思っている自分を知ったことも、学びの成果です。
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算数が苦手…理系ではない。
図工が好きになれない…発想や工夫の力が足りない。
という自分への気づきを新たに得ました。
そういう自分であると知ってから、高校では文系コースに進み、数学の時間を少なくし、美術を選択しませんでした。そして、自分ができること・好きなこと・得意なことに気づけるようになりました。
学びの意味を「実践知を得る、自己形成」と捉えると、一見ムダなことでさえ学びになります。
昨日よりも今日、今日よりも明日
学ぶ意味は、
- 実践知を得て、昨日より今日、今日より明日と、よりよく生きるため
- 自己形成(成長)のため
です。
今、あなたが取り組んでいる勉強、学びには意味があります。
テストのため、受験のため、仕事のためと人それぞれで学ぶ目的はちがいますが、どの学びも未来につながる実践知を得ているはずです。たとえ失敗しても、自己形成にプラスになります。
だから、勉強や学びから逃げず、どんどん学ぼう!
昨日より今日、今日より明日!
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